ローイング(ボート競技)の歴史
1.ローイングのルーツ
ローイングとは、手でオールを漕ぐボート競技ですよね。 ローイングそのものの歴史は物資或いは人の運搬と言う目的でしたが紀元前1430年のエジプトにある碑文にはアメンホエプ2世がボート選手として幾多の功績を残していると記録されていますのでローイングはスポーツとして世界最古の一つとされています。
1274年、国の行事として Festa Nationale della Regata と呼ばれるイタリアのベネチア(ベニス)でのフェスティバルでゴンドラ以外でのボートレースが取り入れられ、このレースがボート競技としては最古とされ現在もこの”Regata”にちなんでボート競技の事を「レガッタ」と呼んでいます。
イタリアでは現在もローイング競技が盛んに行われておりこの歴史的なレガタ祭りは現在ではベネチアローイング”Voga alla Veneta”の、歴史的な水のページェントとして現在も毎年9月に開催されています。(ページェントとは中世ヨーロッパで祝祭日に演じられた移動舞台又は演劇)ハイライトは、小型でスポーツタイプのゴンドラが一斉に運河へ飛び出し、”Machina”と呼ばれるカフォスカリ宮殿前にあるステージを目指す競技です。この大会にはイギリスの王室関係者や多数の著名人が来賓として招待されています。
1954年大会のMachina
2004年大会のMachina
2.近代ボート競技の始まり
現在のボート競技としては、イギリスのテムズ川でウォーターマン達による競漕が一番古いとされています。賞品・賞金はロンドンのギルド達あるいは裕福な人達により提供されました。この種の競漕は19世紀には大変な人気があり最も古いとされているのは1715年にトーマス・ドジェット主催のドジェットのコート&バッジとされ、現在も毎年ロンドン橋-チェルシー間で開催されています。(ウォーターマンとは、川を利用して人や物資を運ぶ船(はしけ)の船頭の事。今で言うタクシー・バス・トラックのドライバーですね)
ドジェットのコート&バッジは1715年から現在も毎年行われている大変名誉のあるレースです。当時の出場者はウォーターマンとしてまだ12か月以内の6名の若い見習い漕手でした。コースはロンドン橋からチェルシーにあるカダゴン桟橋の間7,400m。元々は毎年8月1日に開催されていましたが、現在は潮の干満の関係で7月下旬とされています。勝者には伝統的に銀のバッジが付いたウォーターマンの赤いコートが与えられました。このバッジにはジョージ1世の王位即位を祝いハノーバー家の馬と自由(Liberty)と言う文字が描かれています。
3 ドジェットのコート&バッジ
トーマス・ドジェットはダブリン生まれのアイルランド人で俳優であり喜劇役者でもありました。彼の住まいはチェルシーにあり主な仕事場であるロンドン市近郊までウォーターマンをタクシーとして利用していて言い伝えによれば、ドジェットがある日テムズ川を渡っている時ボートから落ちてしまいウォーターマンに助けられたからそのお礼に6名の若者によるロンドンにあるパブ・スワンからチェリシーにあるパブ・スワンまでの競漕を持ちかけたとされていましたがそうではなく、単に賭けの対象にしたそうです。
ローイングの賞金レースや賭けは当時頻繁に行われておりましたが、彼の発想は大変ユニークなものでした。ドジェットは伝統的なウォーターマンの赤色のコートに「自由」と書かれた銀のバッジを備え付けたコートを仕立て、勝てばこれを与えるとし競技日を8月1日にしました。
参加資格はウォーターマン歴1年以内の若者だけでした。これらは彼が当時の政党であるホイッグ党の熱心な支持者であった事が関係しています。ホイッグ党は自由を唱えており開催日の8月1日はハノーバー家のジョージ1世が王位に就いた日1714年8月1日を記念し栄誉を称えたとしています。現在のバッジは単に自由「Liberty」とハノーバー家のイメージとして馬が有名です。
レースはドジェットが亡くなる1721年まで彼がスポンサーになり主催していました。彼は死後もレースを存続させるに当たっていつくかの指示を残しておりその意志を水産組合が受け継ぎましたが、残念ながら多くの指示が変更されてしまいした。 しかしドジェットのコート&バッジは現在も毎年開催されており、伝統と格式のあるレースとして有名です。
4 活発になってきたボート競技
イギリスでのアマチュア・ボート競技の歴史は18世紀の終わり頃から始まります。
当時のボート競技は貴族のスポーツとされていた為、ウォーターマンだけではなく何らかの職に就いて賃金を得て生活していた競技者はそれだけでアマチュアではなくプロフェッショナルとして位置付けされていました。従って必然的にアマチュアとは貴族又は働いていない学生を意味しておりプロはアマチュアのレースには参加が許されませんでした。
当時の資料はあまり残っていませんがイートン大学のモナーク・ボート・クラブとウェストミンスター学校のアイシス・クラブやロンドンのジェントルマン・アマチュア・スター・クラブとアロー・クラブが1800年以前に存在していた事は確認されています。
又1788年にエイトのチャットハムとインビンシブルがテムズ川でウェストミンスターからリッチモンドまでのレースを行い、これがイギリスで最初のアマチュアボートレースとして公式に記録されています。
アマチュア・ボート競技は貴族による貴族の為のスポーツでしたので観戦者も貴族が多数いた事もありアマチュア・ボート競技大会は高度に組織化され、スケジュールや進行に至るまで厳格にルールが定められており、1793年ロンドンのイートン大学が見事に組織化された最初の水上行進を行い、これらの行進を運営する組織が連盟設立の基盤となったとしています。ローイングは規律やドレスコードが厳しいとされているのもその名残りとも言われています。
5 オアズウーマンの誕生
1814年初めて女性を含む大会がチェルシーで開催されました。しかしベネチアのレガタ祭りではそれ以前にも女性オアズがいたとされています。他の競技同様、昔はローイングも男性の競技でした。1896年第一回アテネオリンピックでは女性オアズが参加していたにも関わらず1976年のモントリオールオリンピックまで女性の参加は認められませんでした。しかし第一回アテネ大会は強風の為中止となっていますので実際は1976年までオリンピックには出られなかった事になります。
女性によるボート競技は15世紀まで遡ります。ベアトリーチェ・デステと言うミラノの公姫が1493年にベニスを訪れた際15人の農家の女性たちによるレースを観戦しています。しかし現在の様な正式な競技として運営されたのは19世紀に入ってからです。
1875年ウェルスリー大学が初めて女性のローイングプログラムを作り、チャールズ・コートニーがユニオンスプリングスセミナーで女性を指導しました。彼は10年後コーネル大学で最初の専属のコーチに迎えられ指導にあたりました。
1892年ズレット・ラム、レナ、アグネスとカロライン・ポラムスが1隻のボートを借りてカリフォルニア州サンディエゴの湾内でローイングを始め後にZLACローイング・クラブを設立します。
このクラブは世界で最も古い女性のみによるローイング・クラブで、現在も活動しており年齢を問わずローイングを楽しまれています。
6 オアズウーマンのその後の活躍
1892年 女子大学ではケンブリッジ ニューナム大学が最初に「ボート会」を創立。
1919年 ケンブリッジ ニューナム大学とロンドン女子医科学校間で始めてエイトの競技が行われる。
1923年 イギリスで女子アマチュア・ローイング連盟が創立。
1926年 オックフォード大学女子ボート部が創立。
1927年 オックフォード対ケンブリッジ大学の対抗戦で最初の女子の部が開催されています。(エキシビジョンとしては以前からありましたが正式なレースとしては1927年からになります。)
1951年 モナコで開催されていたヨーロッパ選手権にFISAが初めて女子のレガッタを紹介し1954年にようやく女子も正式にヨーロッパ・ローイング選手権に加えられます。
1962年 全米女子ローイング協会が創立。
1973年 アメリカの女子ナショナルチームが初めてヨーロピアン・ローイング選手権に参戦。
1976年 モントリオールオリンピックで女子レガッタチームが参加。
ヘンリー・ロイヤル・レガッタで女性の参加が認められたのは1975年からです。
最初の女性競技者はクリスティーヌ ポール。当時の競技人口は男女ともほぼ同等であったので女性の大会を増やしてはどうかと議論が度々行われ、1988年にようやく第一回ヘンリー・ウーマン・レガッタが開催されています。
1996年には女性が初めてヘンリー・スチュアート(ロイヤル・ヘンリー・レガッタの世話係・幹事)に選出され、同年リーンダー・クラブが初めて女性をメンバーとして迎えています。(Leander Clubは1818年に設立された歴史と伝統のあるボートクラブ。数多くの金メダリストを排出しておりマナーやドレスコードに対して大変厳格であると知られています)
7 カレッジ・ローイングの歩み
1815年にはオックスフォード大学で最初にレースが運営され、それに対して公式記録ではケンブリッジ大学でレースが運営されたのは1827年となっています。
オックスフォード大学対ケンブリッジの最初の対抗戦は1829年でヴァーシティ・クリケットに次いで二番目に古い大学対抗戦とされています。
その後アメリカの大学でもボート部の設立ラッシュが始まり、エール大学は1843年、ハーバード大学は1844年となっています。ちなみに、各学校に設立された最初の運動部はボート部とされています。
アメリカでのスポーツ全般における最初の大学対抗戦はハーバード大学対エール大学です。1870年にエール大学が初めてスライドを使用し、3年後にはオックフォードとケンブリッジも採用しています。
1904年、全くボート競技に興味がなかったヒラム コニベアーがワシントン大学のコーチに就任し指導しているうちに「コニベアーストローク」と呼ばれた独自のストロークを考案しました。このストロークはそれから30年間最も有効とされており、彼は「ワシントン大学ローイングの父」と呼ばれています。
参考までに、ローイングは世界共通言語の英語ですが、日本では漕艇、競技は競漕。フランスでは Aviron イタリアでは Canottaggio、ドイツではRudernとなります。
8 ヘンリー・ロイヤル・レガッタ
1839年より毎年テムズ川で行われる歴史ある大会です。(除く第一次及び第二次世界大戦中)当初は、テムズ川沿いにあるヘンリーと言う町のイベントとして始まりました。競技参加者は元々市長やヘンリーの一般市民でお祭りの様に楽しんでいました。 1818年リーンダー・ローイング・クラブの創立に始まり次々と民間のローイング・クラブが誕生した時代ですので次第にアマチュア・ローイング大会に変わっていきました。
初めの頃はその日の午後のみのイベントでしたが参加希望者がどんどん増えていき2年目から2日に、1886年からは3日で1906年には4日に延長されました。それでも参加希望者全てをレースに参加させる事が困難になった為1928年より大会の1週間前に予選を行う事にし、1986年より期間は5日に延長されています。レースは90種あり全てを執り行う為に5分間隔で進行されています。コースの長さは550ヤード、これは国際基準である2,000メートルより112メートルも長くなります。
近年では外国(オーストラリア、カナダ、クロアチア、デンマーク、エストニア、フランス、ポーランド、オランダ、アメリカ合衆国、ドイツ、チェコ、ウクライナ、南アフリカ、スロベニア、ギリシャ、中国)からも参加しており2014年では107名が外国からのオアズでした。
数あるトロフィーの中で第一回大会からあるエイト用 Grand Challenge Cup が最も栄誉があるとされています。
1884年以降、現在60名いる元々有名なオアズマン又はスカラーであったスチュアートにより運営されています。その中から別途選出された12名が経営委員会に所属しており計画や組織運営等全てにおいて責任をもって管理しています。
9 ヘンリー・ロイヤル・レガッタの由来
元々はヘンリー市の市役所で市長と市民達が町の活性化とリクリエーションの為に何かないかと話し合っていた時に当時流行っていたボート競技でもしようか、と言う一言から始まりました。初めは単に町のお祭りでしたのでヘンリー・レガッタと呼んでいましたが、1851年よりイギリスのアルバート王子がスポンサーになった事からヘンリー・ロイヤル・レガッタと呼ぶようになりイギリスで最も権威のあるボートレースとされています。
王子の死後、王室関係者以外のスポンサーによりも運営されていましたが「ロイヤル」と言う言葉を継続して使用しても構わないとされています。
ヘンリー・ロイヤル・レガッタはイギリス・ローイング協会やFISAが設立される以前から存在していますので両者のルールと関係なく今でも独自のルールで運営されていま。HRRは、その事に関しては大変感謝していると共に誇りにも思っています。
HRRは、イギリス王室の方々も観戦に来られウィンブルドン・テニス、アズコット・競馬と並ぶイギリスの最大スポーツイベントの一つです。カナダでは、1880年よりロイヤル・カナディアン・ヘンリー・レガッタとして開催されています。
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参考文献
rowinghistory.net
en.wikipedia
hrr.co.uk
citta de venezia
doggetsrace.org.uk
regata storica de venezia
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