レスリングの歴史
1.レスリングの起源
レスリングの起源は、5000年前のシュメール人の時代までさかのぼり、叙事詩はくさび形文字で書かれています。古代エジプトにもレスリングに関する考古学的史実が存在しており、ベニ・ハッサンの墓では400組のレスラーが描かれた絵が発見されています。これらの絵や他の留品より古代エジプトでは既にレスリングの団体やルール、審判が存在していたとされています。
古代ギリシャでは、レスリングは科学と神の芸術と見なされ若い男性にとっては最も重要なトレーニングでした。レスラーは体力だけではなく、文武両道が求められたので様々な知識も豊富でなければなりませんでした。当時のレスラーは全員裸で戦い、日焼け止めや寒さ対策として全身にオリーブオイルを塗り細かい砂をかけていて練習や試合が終わると特殊な用具で砂を落し真水で綺麗に洗い流していたそうです。(砂は滑り止めの役割も果たしていました)当時の絵や碑文から戦い方は現在のスリースタイルに似ており対戦相手を投げ飛ばすか、押し倒して相手の背中、お尻、胸、膝、あるいは肘が地面に着けば勝ちとされていました。
ある文献によりますと、当時レスリングは男性にのみ許された競技であって当初は衣服を着ていましたがある日男装した女性が混じっているのが発覚しそれ以降選手は全員裸にさせられたと言われていますが、これが事実かどうかは定かではありません。
2.古代オリンピック
紀元前708年からの古代オリンピックでは、レスリングは5種競技(走り幅跳び、円盤投げ、やり投げ、短距離走、レスリング)の中で最も規律が重んじられました。最も有名なレスラーは哲学者ピタゴラスの弟子であったクロトンのミロンでした。彼は紀元前540年から516年の間に開催された6回のオリンピックのチャンピオンで他にも地峡大会で10回、ネメシスの大会で9回、ピュティオスの大会で5回優勝しています。
古代ローマ時代、レスリングはエトルリア人の遺産とギリシャ式ゲームの復元を元に進化していき若い貴族、兵隊や羊飼いにとっても最も人気にあるスポーツでした。しかし残念な事に393年、皇帝テオドシス一世は全ての異教ゲームを禁止しオリンピック競技を違法としました。その後オリンピックは暗い中世時代に沈みましたが隠れて引き継ぐ者たちにより存亡の危機を脱しました。
3.ルネッサンス期とその後のレスリング
ルネッサンス期になるとレスリングは社会的地位のある者のみの競技となってしまい城や宮殿で行われ多くの有名な画家や作家がレスリングを奨励しました。驚くことに最初の本は1500年に発行され1512年にはドイツ人のアルブレヒト デュラーによりカラーのレスリングマニュアルが発行されました。
オリンピックを復活させる為の試みは幾多もありましたが1896年ピエール・ド・クーベルタン男爵によって再確立されるまでは失敗の連続でした。1894年に設立された国際オリンピック委員会の設立を機に国際スポーツ連盟とオリンピック委員会は急速に進化していき、1894年に開催された最初のオリンピック会議では10種目(陸上競技、レスリング、ローイング、サイクリング、フェンシング、体操競技、射撃、重量挙げ、水泳競技とテニス)を競技プログラムと決めます。
第一回アテネ大会の開会式は約8万人の前で盛大に行われました。
アテネで開催された最初のレスリングトーナメントでは、体重の階級はなく全ての競技者は一部腰から下への攻撃が許されていたプロフェッショナルのグレコ・ローマンスタイルに似た規則で戦いました。
4.初代オリンピックチャンピオンはドイツ人のカール・シューマン
初代オリンピックチャンピオンはドイツ人のカール・シューマンでした。
彼は鍛え抜かれたレスラーではなく馬術、重量挙げ、体操の選手でもあり、どちらかと言えば優秀な馬術選手としての方が有名でしたがスピードと正確なボディーロックにより自分より体重が重いイギリスの重量挙げ選手ラウンセストン・エリオットにも勝っています。ちなみにシューマンの身長は1m58cmとドイツ人としては小柄な体格だったそうです。
抜群の運動神経の持ち主だったと言う事ですね。
5.プロフェッショナル レスリング (プロレス)
プロレスの起源は1830年代頃のフランスにあります。
中世・ルネッサンス時代、レスリングは社会的地位のある人達だけのスポーツで、そのエリートの中に入れないレスラーが集まりフランス国内を旅して技を披露している内にサーカス(見世物小屋)団と合流しました。レスラー達は“鉄喰いのエドワード”や“アルプスの猛牛ベッカー”と名乗り「自分を倒せば50フランやる」と言い放ち、観客から力に自信がある人をけしかけていました。
初期の頃は猛獣使いや綱渡り等があるサーカスでの興行でしたが1848年フランスの興行師ジャン・エクボラ(Jean Exbrayat) が最初の近代的なレスラーだけの集団をまとめあげ、レスリングを近代スポーツと捉え安全面を考慮して腰から下は掴んではいけないと言うルールを作りこのスタイルを「フラットハンド・レスリング」と名付けこれがグレコ・ローマンの原型とされています。
1872年エクボラ氏の死後、弁護士のロシニュール・ロリンは勝ったレスラーを表彰するなどしてこのレスリング団の方向性を変えていきました。
プロレスはフランスからオーストリア、ハンガリー、イタリア、デンマークやロシアに渡り新しいスタイルとしてグレコ・ローマンスタイル(別名クラシック・レスリング又はフレンチ・レスリング)と名付けられました。 名付け親はイタリア人レスラー バジロ バートレッティとされています。 グレコ・ローマンとはフランス語で「ギリシャとローマの」と言う意味ですね。
プロレスはヨーロッパ中で盛んに行われ各国の興行主によって独自のプログラムがありました。最初のプロレス世界チャンピオンはポーランドのラディスラウス・ピトランシンスキではなく1898年のフランス人ポール・ポンスとされています。チャンピオンには5,000フラン支払われたそうです。
19世紀末、プロレスはヨーロッパで最も人気のあるスポーツでしたが当然賭け事の対象にもなり1900年から八百長や虚偽の報告等で人気が落ち始めました。
平行してオリンピックアマチュアイズムはクラブや学校に創設を奨励しこれによりプロレスの繁栄は終焉を迎えました。しかし歴史的観点からするとプロフェッショナル レスリングはレスリングと言う競技を復活させ有名にし、練習方法もアマチュアレスリングでも使える為急速に普及したと言う事で多大な貢献をした事は事実です。
日本で言うプロレスは、イギリス人がアメリカに移住した後にフランスのプロフェッショナル レスリングをアメリカ特有のショービジネスとして今日の様に発展させたものでスタイルはグレコ・ローマンではなく当時イギリスとアメリカが推進していたキャッチ・レスリングから進化したフリースタイルです。
意外かもしれませんが、プロレスのルーツはアメリカではなくフランスにありました。
6.近代レスリング
1904年アメリカのセント・ルイス大会で初めてフリースタイルレスリングが紹介されましたがアメリカ人レスラーの間だけで議論され1908年の第4回ロンドンオリンピックでようやく両方のスタイルが正式に採用されましたが1912年のストックホルムオリンピックでは再びフリースタイルが除外され代わりにグリマレスリング(アイスランド・レスリング)が採用されました。
試合は屋外で行われマットが3か所用意されていただけでした。試合時間は1時間で決勝戦は古代からの決まり事である“どちらかが勝つまで”にのっとり時間は無制限。フィンランドのアシケイネン選手対ロシアのクライン選手の決勝戦では11時間40分要しギネスブックにも登録されています。
これ以降、レスリングは国際連盟の努力もあり各国に浸透していき、その中でもグレコ・ローマンは北ヨーロッパ勢が常に上位を独占し、フリースタイルはイギリスとアメリカが支配していました。
1908年のアムステルダム大会ではエジプトのイブラハム・ムスタファがアフリカ勢として、1952年のヘルシンキ大会では日本の石井庄八がアジア勢として初めてオリンピックで金メダルを獲得しています。
第一回近代オリンピックアテネ大会でレスリングが紹介されてから100年余り、世界のレスリングは新しい時代に入り2004年のアテネオリンピックから女子レスリングが正式種目として採用されています。この決定はスポーツにおける平等の確立を目指すIOCの方針の一部であり80年代末から女子レスリングの発展を維持してきたFILAの努力を正当化するものとされています。
日本にレスリングが紹介されたのは1929年。早稲田大学柔道部がアメリカへ遠征しワシントン大学でレスリングに出会った事から始まります。レスリングの魅力に取りつかれたメンバーの1人、八田一郎は帰国後早稲田大学にレスリング部を作り普及に努めました。日本は1932年第10回ロサンゼルス大会から参加しています。
7.レスリング・キッズ
オリンピックや世界選手権での日本選手の活躍もあり日本でも子供レスリングスクールが数多く運営されています。日本の競技人口は推定9,000人とされておりその内キッズ・ジュニア層が4,000人近く占めています。(世界の競技人口は推定約100万人)レスリングは格闘技ですので一般的には危険なスポーツと思われていますが、他の格闘技と比べて比較的安全とされています。ただ競技ですのでどうしてもフォールから逃れる為に無理な体制をとってしまう選手がいて大怪我の元となってしまいます。
キッズスクールではまず握手に始まり握手に終わる事から習い始め、社会道徳、マナーや礼儀を教わります。
練習に関しても十分に柔軟体操や筋肉トレーニンを行ってから始めますので親も安心して預けられているようです。
8.各国のレスリング
オリンピック競技や世界選手権で認定されている正式種目はグレコ・ローマンとフリースタイルだけです。これら以外にも各国それぞれのスタイルでのレスリングがあります。
アメリカの高校・大学ではフォークレスリングが主流で、原型はキャッチ・レスリング或いはキャッチ・アズ・キャッチ・キャンからきていますのでフリースタイルに似ていますがルールが若干違います。しいて言えばすこし単純で倒したら2ポイント、寝技から立ち上がったら1ポイントとなるので寝技はこう着状態になっても途中ストップがかからず延々と続きます。しかし技のレベル、特にグランドコントロールはフリースタイル以上とも言われておりアメリカのプロレスラーはこのフォークレスリングの技を大いに取り入れています。
ちなみに外国では日本の相撲もレスリングの一種とされており、相撲は英語でスモウ・レスリング、力士はスモウ・レスラー又はスモウ・リンガーと呼ばれています。
9.レスリング ユニフォーム/シングレット
古代ギリシャでは選手は全員裸、その後それぞれ動きやすい衣服を着用する様になりました。オリンピック委員会も1908年まではレスリング競技に対してドレスコードを定めていなかったので、それまでは主に綿で出来たショートパンツかタイツに底が柔らかいブーツが定番。Tシャツを着る場合もありましたが掴まれやすいので上半身裸が主流でした。機能性・安全性の面からも当時からシューズのソールには厳しい決まりがありました。今日の様なワンピースのシングレットが登場したのは1960年代後半からです。
10.女子レスリングの起源
女子レスリングの起源は紀元前7世紀、古代ギリシャ時代のスパルタにあります。 あのスパルタ教育は、古代スパルタの厳しい訓練を施す厳格な教育から来ていますよね。 当時スパルタ以外では女性に自由はなく様々な制限がありました。正に男尊女卑です。しかしスパルタは例外で女性も男性と同様に教育を受けていましたのでフィジカルとメンタルな面、両方鍛えられていました。
スパルタの王レオニダス1世が300人の兵士と200万人以上のペルシャ軍と互角に戦った話の様にスパルタ軍は最強の軍隊でした。女性たちは男児を出産すると将来たくましい戦士になるように育てる為にも男子と同様の教育を受けレスリングや円盤投げ、やり投げ等アテネでは許されていなかった競技を行っていました。 その当時、スパルタでは女子レスリングは非常に盛んで練習方法も男性と変わらず、女性であっても傷跡がないと「弱い」とされていて傷跡が多ければ多い程尊敬されていたそうです。
女性が男性と練習する事もあり、覚えたての青年にレスリングを教えていたこともあったとされています。これは当時スパルタでしか有り得ない事でした。 大のレスリングファンであった哲学者のピタゴラスも女子レスリングの噂を聞きつけ何度も視察の為にスパルタを訪れたそうです。
男性は裸で女性は軽いチュニックを着ていただけですが、女性も時には裸であったと言う文献も残っています。
女性アスリートのレジェンドはアタランタ(Atalanta)。彼女の強さ、度胸と女性らしさは群を抜いていて常に男性に交じってレスリング、競走、やり投げで競い合っていました。
彼女の最も有名な話は、ペリアスの葬礼の競技でペレウス(Peleus)と言う男性のヒーローにレスリングで勝った事です。ちなみにペレウスはあのトロイ戦争で大活躍した戦士アキレスの父親だそうです。
スパルタはあくまで特別で他の地域では女性がレスリングをするなど有り得ない時代でした。しかしスパルタもその後衰退し時代がローマ帝国時代になると女性はレスリングどころかスポーツを行う事すらありませんでした。
女子レスリングが復活したのは20世紀中頃からとされています。
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参考文献
UWW United World Wrestling 世界レスリング連合(アマチュアレスリングの国際連盟)
FILA(旧)国際レスリング連盟、2014年9月7日に名称をUWWに改名
Wikipedia (EN)、(JP)
Women’s wrestling history
fscclub
NPO全国少年少女レスリング連盟 site
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